【スキー関連】僕が見て来たスキー技術の移り変わりについて

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前置き

大学入学後本格的にスキーを始めた。
オヤジがスキークラブを主催していた関係で子供の頃から雪に慣れていたとは言え住まいはずっと雪なしエリアの大阪だったし、年に数回しかスキーをしなかったので、他の人よりは若干滑れる程度で長らく過ごした。
そんな僕がスキー技術を語ることなどおこがましいのは百も承知だが、かつて上手くなりたいがために熱心に教えを請うたり技術選のビデオを見たりして研究したり、当時目指していた技術がどんなものだったか?それが今どうなってそれについてどう感じているのか?と言うことを書いて行こうと思う。
当時僕が感じたことなので、当然思い違いも間違って解釈している部分は多々ある。
その結果4年費やしてバッジ1級までで止まっているのだ。
そこはご容赦して頂き、あくまで時代の移り変わりの記録だと思って頂ければありがたい。
 

背景

僕がスキーを始めた1987-88シーズンは競技も基礎もスキー界に取って大きな転換期だったと思う。
基礎スキーは88年八方尾根で開催された第25回技術選のバーンが天候急転で全山アイスバーンになったことだ。
それまでの名手と言われた選手が厳しい斜面に対応できず転倒者が続出し、代わりに台頭したのが競技で鳴らした選手たちだった。
結果はインカレ優勝、富良野WC出場経験のある渡辺一樹が優勝。破れた佐藤譲はナショナルチーム所属の現役レーサーだった。
これで一気にハイスピード化が進み、レーサー出身者が活躍することになった。
方や競技は岡部哲也が1988年のWC2位入賞。猪谷千春氏以来の快挙となった。
これはナショナルチームに招聘されたコーチ:ペーター・プロディンガーの理論「スイング&グライド」によるものだった。
 

スイング&グライド

スイング&グライドとはターン始動時に抜重して体軸を谷方向に先行動作で落とし込みスキーの向きを変えると言うテクニックだ。
抜重とスキーを振る動作が同時に行われるため切換しの時間を短縮しスキーを走らせる時間を多く取ることが出来るのでタイムが短縮できると言う訳だ。
岡部選手はこのテクニックをマスターしWCで上位に食い込み、佐藤選手は基礎の世界にこれを持ちこんだ。
 

そして僕たちは・・・

本格的に基礎フリークにS&Gが浸透しだしたのは翌88-89シーズンだったか?と思う。
と言うのはクラブでは先輩からレッスンを受けるのだが、切換では抜重をするな!と耳にタコができるほど聞かされたからだ。
我流からスキーとはこう言うものだと疑うことを知らない僕は忠実にそれを守っていたのだ。
そのシーズンの終盤、学校の単位が足りない僕は野沢温泉で補講を受けた。
その時レッスンしてくれたイントラが切換で谷方向に伸びあがって上体を落とし込めと言うではないか?
一体どう言うこと?と混乱したのは言うまでもない。

 

つづく

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