便りがないのは元気な証拠と思って欲しい。今後仲間内の集まりには基本不参加であること

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しばらくご無沙汰の旧友たちと再会して旧交を温めるのは楽しい。
あんなことあった、こんなことした。
今度は一緒にあそこに行こう、こんなことしよう…
久々に会ったら話題は尽きないだろう。
楽しいだろうなぁ。

周囲を見渡してみれば僕たちの年齢は頻繁に同窓会が行われる年代なのかも知れない。
子育てもひと段落付き仕事も先が見え、周囲を見渡す余裕が出来てくる年代だからなのだろう。
有難いことにこんな偏屈オヤジにもかなりの割合でお誘いを頂く。

だけど僕は基本的にこうした集まりに参加することはないだろうと申し上げておく。
集まって旧交を温めることに意味を見出せないからだ。
これは僕個人の思いなので人がそうすることを否定するものでは無いことをくれぐれ申し上げておく。

もちろん気心知れた旧友達とワイワイやるのは楽しい。
時間も忘れこの時間がずっと続いてくれたらなぁと思うだろう。
でもそれだけだ。
人に投影した自分自身を眺めて楽しんでいるに過ぎないと思うからだ。
人にアクションを起こすと人はそれに反応する。つまりは自分自身を他人の姿の中に見ているだけだと思っている。
だったら自分が楽しめる他の手段があればそれで事足りるのでは?と思う。

僕は単独行動が好きだ。独りはもちろん寂しい。でも単独行動と寂しさはセットなのだ。そういうものと思えば何ともない。
それに多くの人と交わったところで空虚さが満たされる訳でもない。同じ寂しいのなら独りの方が良い。

とは言っても今までの付き合いを断絶するつもりではない。
今まで培った旧友達との関係は僕の心の中でちゃんと存在し続けている。
ただ物理的に現れることはないと言うことだ。
便りがないのは元気な証拠だと思って頂ければ幸いである。

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