書評:「南京の基督」芥川龍之介

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芥川龍之介の小説「南京の基督」のレビュー。
 
 

ストーリー

15歳の金花は家族を養うために売春婦をしている。
みすぼらしい彼女の部屋の壁に掛かっている十字架に掛かるキリストを見てある日本人旅行者の客は「こんな商売をしていると天国には行けないのではないか?」と問うと金花は「この商売をしないと私たちは生きて行けません。キリスト様はそれはちゃんと見ていて下さるはず」と微笑んで返した。
 
ほどなく金花は客から梅毒をうつされ気立ての良い彼女は客にうつしては申し訳が立たないと客を取るのを止める。次第に生活は困窮して行く。
見かねた仲間のひとりから「他の客にうつすと治る」と迷信めいた解決法を提示されるが、そのような振る舞いは出来ないと尚生活は困窮して行くのだった。
 
ある晩、椅子にやるかたなしに座っていると突然戸が激しく開いて見知らぬ酔った外国人が乱入して来た。
突然の見知らぬ客で彼女は警戒しつつもどことなく見覚えがあるその外国人が気にもなるのだった。
言葉が通じず外人は手真似で彼女を買おうと交渉するのだが、金花は相変わらず首を縦には振らなかった。
その時突然壁から十字架が床に転げ落ち拾った際にキリスト像の顔を見ると、それが目の前の酔客とうり二つであった。
金花は自分の前に奇跡が起きたのだと歓喜の中で今まで感じたことがない恋の気持ちに身をゆだねるのだった。
 
夢の中、金花は見たこともない宮殿で豪華な食事を楽しんでいる。
ふと背後に気配を感じて振り返ると水煙草を吸う例の外国人の姿が見える。
「あなたもこちらで一緒に召し上がりませんか?」と問うと「お前だけ食べるがいい。耶蘇の基督は中華料理を食したことがないのだ」と言い背後から彼女の頬にキスをするのだった・・・
 
目覚めるとそこはいつものみすぼらしい彼女の部屋の中、いつの間にか外国人も消えていた。お金も払われていなかった。
しかし彼女の頬に内面からの赤みが射すのが分かった。
病気が治ったのだ。
 
再び彼女の客となった日本人旅行者が彼女からその夜の奇跡を聞かされる。
「で、お前は病気はそれ以来治ったのか?」と尋ねると「治りました」と金花は答えるのだった。
その話を聞いて彼は通信社に勤めていた顔見知りの混血の記者がその夜志那人の少女を買った話をこれ見よがしに吹聴していたのを思い出した。やがて彼は梅毒に犯され発狂したのだがこの事実を彼女に伝え無知蒙昧を啓蒙するか、そのまま伏せておくか悩むのだった。
 

レビュー

手法的には最後にオチが待っていると言う「舞踏会」と同じような表現方法だと思うが、何とも悲しくも美しい話だと感じた。
金花を取り巻く悲惨な状況も彼女の心の美しさもペンひとつで見事に表現している。
悲惨な状況も激しい言葉を用いることなく表現し、逆にそれだからこそ金花の心の美しさが更に浮き彫りになる。
残念ながらこの小編も本質は何を伝えたいのか?無知な僕には分からない。
 
ただ神を信じる者は救われると言うことなのか、それとも「舞踏会」の様に知識を持ちすぎることを暗に批判しているのか?
分からないが用いる言葉の美しさがこの話の主人公 金花の心の美しさを余すところなく表現していることだけは言えるだろう。
 
物語は金花が信じるキリストの奇跡で病気が治ったところで終わり、別段それ以外、例えば生活が改善したとか後に幸せに暮らしたとかオチは付いていない。
日本人の男に真実を告げさせなかったのもそこにあるのだろう。
ただ一心にキリストを信じて祈る彼女の願いが通じた。その事のみ焦点を当てていることが良い。
主題からぶれずに一本筋が通っている。
そのように感じる。

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