善行為は循環する。見返りを求めずやっていればそれは必ず自分に返ってくる【思うこと】

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人には欲望がある。

また他人と比較してあの人より良くなりたい、とか良く思われたいとか他人を基準にしてその優劣を図ることが多々ある。

得てしてそう言う場合は何故自分だけが損をしないといけないのか?とか、自分は不遇だとか思ってしまうのである。

何故か?

先に言ったが他人を基準にして優劣や幸不幸を図っているからだ。

 

自分を振り返ると、良いことが沢山起こる実感がある。

勿論全てにおいてパーフェクトではない。そんなことは当たり前だ。

しかしそれを差し引いても良いことがよく起こる。

願ったことはほぼ実現する。

何故だろう?と振り返ってみると見返りを求めず応援し続けることではないかと思うのだ(勿論全て出来てる訳じゃありませんが)。

 

最近流行りの本を読んでいてもギブ&テイクではなく、ギブ&ギブそしてギブだと言うことだ。

つまりは自分の欲や得を差し置いて先ず与えることでその人を応援したくなる、結果その人に取って善循環が始まると言うことらしい。

先にも書いたが、僕に当てはめると勿論全てが出来ているとは口が裂けても言わないが、なるほどと頷けるものである。

 

自分の例を挙げてみると、僕はスキーを趣味としている。

スキー用具は大変高価で上級者モデルになるとちょっと二の足を踏むくらいの価格だ。

どうしても欲しいと思うメーカーの機種が出てくるとしよう。

こんなのが履ければ良いなぁと願っていると、不思議なことだが関係する人とのつながりが出来る。

そして自分が出来ることで応援すると、いつの間にかその製品を自分が使用していることになっている。

こんな感じだ。

お金を払ってかどうか?はここでは書かないが、選手でもない一般人の僕が選手並みの待遇を得たことは間違いない事実だ。

 

これは何も自分の充実ぶりを自慢したいと言うことではなく、自分が応援したいものを無心で応援していると、やがて相手側もそれに気付いてくれて何か応援したい、つまり善行為が循環し出すのではないかと思っている。

 

友人に関しても同様で、我ながら難しい性格なのは自覚しているが不思議なくらい周囲に恵まれている。

方法にこれだ!と言う確証はないが、そんなに難しいことではないようにも思える。

人知れず道端のごみを拾い続けることでも良い、おそらくそんなことが積み重なるのだろう。

 

ただ、最初から自分の欲望をを前面に押し出して同様の行為をしても逆効果なので注意が必要だ。

善と偽善は似て非なるものだ。

そんなのはよく分かっていると言いながらも人はそれによく陥る。

自分を振り返ってもそうだ。

 

見返りを求めず、自分が出来ることをコツコツとやり続け善い循環を回して行く。

これが自分も周囲の人も幸せになれるコツなんじゃないかと思っている。

もし良いことが起こらないかな?とか思ってる人がいるのなら、簡単なことでいいので始めてみればどうだろう?

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