失言や失態は変わらない。でもそれを糧に今後の自分は変えることはできる【思うこと】

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最近芸能人や政治家が失言失態を放ったり演じたりして、世間からバッシングされる光景を良く目にする。

何もそこまで言われなくとも思うが、これは何も彼らに限った訳ではなく失言失態は我々一般人でも日常起こっていることだと思う。

自分以外の第三者にこう言うことを行えば、当然相手は傷つき怒りそして非難される。

その程度が大きくなるほど自分が被るダメージは比例して大きくなる。

行った行為によって自分に対する周囲からの評価が変化し、居場所がなくなったり果ては仕事にも支障をきたす恐れもある。

 

こうなったらなかなか周囲の評価や評判は覆らず、信用回復の努力はしている筈なのに解決に至る出口も見えず、もうどうでも良いや!と諦めたい気持ちになるがここは立ち止まってよく考えた方が良いだろう。

諦めれば長い間落伍者のレッテルを貼られることとなる。

それでも別に構わない、俺はアウトローの道に進む!と決めればそれはそれで一つの生きる道なので極めれば良いが、違う見方をすればこれはひとつのチャンスではないかとも思う。

 

こういう時は立ち止まって自分の内面を見る機会を得た、と思えばどうかと言うことだ。

失言や失態は自分の性格、思考、言動などに起因して、それが特定の状況に置かれた時に発現するのではないか?と思うからだ。

侮辱めいたことを言われついカッとなって口論になってしまったり、普段は温厚なのにお酒を飲むと人が変わってしまったりが典型的な例だろう。

それらは表面化した現象だが問題の本質は何だろう。

 

そうした状況になると周囲の評判を回復するのは至難の技だが、周囲から冷遇されたとしてもじっくり自分の行いを反省し、次はそうならないように修正する良い機会と捉えても良いのではないか?勿論ない方が良いのではあるが。

先ずじっくりと自分の内面を見つめ反省し、そして原因を特定して、それを修正したり改善するために行動する。そして周囲への働きかけを行う。

 

なかなか信用を回復すると言うのは並大抵ではないが、自分が変われば周囲も変わると言う言葉もあるように、今もしそのような状況に置かれている人、もしくは自分が仮にそうした状況に置かれた場合は一概に周囲に問題があると決めつける前に、一旦自分を振り返って見ることも良いのではないか、と思う。

信頼や信用と言うのはあくまで結果であり、原因は自分の在り様であると思うからだ。

と思えばこう言った状況に置かれるのは辛いことだが、自分を改善できる機会だと捉えれば悪いことばかりではないだろう。

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