灯台下暗し、得意なことは実は足元に隠れてるかも知れないこと

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やりがいや生甲斐がクローズアップされる時代になってきました。

しかし自分が得意なことって何だろう?自分には得意なものや打ち込めるものなんてないのかも。と思っている人は多いのではないだろうか。

かくいう僕もその一人で、将来に対して漠然とした得意と一体何を得意とし、何をすれば良いのかよく分からなかった。

そのため随分いろいろなところや学校にも顔を出し、そこで知り合いは増えるものの皆さん非常に輝いて見えて反対に自分はどうなんだ?と落ち込むこともしばしばあった。

自分の得意なことは何だろう?何ができるんだろう?と疑問を持った時にはよく過去を振り返ってやって来たことなどを棚卸すると良い。自分でも何度か機会があってやった記憶はあるのですが、

今一つピンと来なかった。

 

しかし案外自分が不得意だと思っているところに実はそれが隠れているのではないか?と思うようになった。

それがこのブログを書くと言うことだ。

 

幼少時代から僕は文章を書くのが苦手で、小学生の頃作文の授業で余りに完成が遅く居残りをさせられて泣きながら作文を仕上げたことをはっきりと憶えている。

また宿題で書いた作文が余りにひどく両親からひどく叱られた思い出もあり、自分は文章を書くのが苦手だと思い込んでいた。

反面、中学時代に修学旅行の思い出を何気なく書いたものが表彰されて文集に載ったり、社会人になってレポートが受賞したりと信じがたいことも起き、漠然ともしかして案外書けるのかも?と脳裏をよぎったりもした。

 

決定的に感じたのがこのブログを始めたことだ。

とにかく書きたいことが頭に浮かべば、それを具体化する(書くこと)は全く苦にならない。もちろん知識やボキャブラリーが貧困だという悩みはあるがそれも今後磨きをかけていきたいと思ったりする。

むしろ書くことに対しては全く抵抗を感じなく楽しさを感じる。

 

こうした自分の例から思うことは、案外不得意だと尻込みしていること、すなわち自分の足元で埋もれていることに自分の得意分野が隠れているのではないか?と強く思う訳です。

わからないものである。

 

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