何か新しいことをする時に否定的見解や意見を探そうとすることはないか?不満ながらも現状に安住している証拠だ

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何か新しいことや未知のことを手掛ける時、どうしたら前に進むかとの手掛かりを探していると、失敗した理由や否定的意見を求めていることはないだろうか?
僕にはそんなことが所があって、当初は考え得る限りのリスクを想定してそうならないために情報収集するのだろうとかおめでたい解釈をしていたのだがそうではない。
結局未知の事を手掛けるのが怖いだけだったのだ。
 
やろうとすることに対して否定的見解や意見などが見つかると自分に対してやらなくて良い言い訳が出来る。
みんなこう言ってるから無理だと言う訳だ。
何か良い突破口がないか?探していると知らず知らずのうちに出来ない理由を探していることに気付いて笑ってしまうこともある。
 
なぜこんなことを思うのかと言えば、何かを変えたいと願いながらも現状に安住したいと言うのが本音だと言うことだ。
人は安定を求める存在なので無意識にリスクを回避しようとする。その結果が出来ない理由を探すと言うわけ。
 
しかしこんなことを考えているといくらやる気はあっても物事は前には進まない。
どんなに周到に下調べしたとしてもリスクは排除し切れないし、最後は思い切りしかないと思う。
 
コンフォートゾーンと言う言葉がある。
良い意味でも悪い意味でも居心地のいい場所だ。良い状態は勿論、客観的に見れば抜け出た方が良いと思う状態でもコンフォートゾーンとして成立する。
なぜなら人は安定を求めるからだ。
何かを変えようと思えばこのコンフォートゾーンを抜け出さなくてはならない。
 
そもそも安定も約束されたものではなく、不安定の上に成り立っていることを忘れてはいけない。
そう言う意味では永遠に安定などと言う状態は存在しないのである。
一度に踏み出すのが怖ければ、小さなステップに分けて少しずつでも前進することもひとつの方法だ。
歩めば少なくとも現状からは抜け出ることができる。
 
何かをしようとする時、出来ない理由を探す自分に気付けばそれは安定を求めている証拠だと気付くだけでもその先は変わってくるのではないだろうか。
 

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