以前善行為は循環すると言う投稿を書いたが、今回はそれの補足的なことを書いてみたい。
その時の投稿はこちら
https://allseasonski.com/archives/5899
他人に対して良いことを行えばそれが循環して巡り巡って自分に返ってくると言うことだが、これは何も不思議なことではなく、受けた行為を意気に感じた相手が放った人に反応すると言うことだ思う。
恩を返すと言えば何だか重い感じがするが、簡単に言えば上記のようなことだと僕は解釈している。
ダイレクトに自分に返って来なくても、受けた人がそれを他の誰かに行い、巡り巡って自分に返って来ることもある。
こう言う場合は善行為の対象が広範囲に広がり、結果的に多くの人が幸せを感じることが出来るのでたとえ何も返って来なくても幸せなことなんじゃないだろうか。
少し抽象的になって来たのでまた自分の体験を書いてみたい。
数年前家族でドライブをした時、車の不調で急遽旅行先のディーラーに助けを求めたことがあった。
実はそのトラブルは以前も経験しており、部品の在庫もなく取り寄せる期間を考えると数日預けないといけないだろうと想像した。
しかも旅行先で、そこから自宅までの往復のことを考えると更に憂うつになったのだが、何とそのディーラーの整備責任者が言うには「トラブルの原因はお客さまの想像通りです。その部品はたまたま他のお客さまのために取り寄せたのですが、お話ではご旅行中と言うことですのでお客さまを優先しますので申し訳ございませんが、3時間ほどお時間を下さいませんか」との有難い提案があり、わずかな時間ロスと出費で事なきを得たのだった。
僕はその事をずっと憶えていて数年後自動車を買い替える時、この時の恩を返すチャンスだと思い、自宅から遠く離れてはいたが迷うことなく今乗っている愛車の購入を決めたのだった。
あの時僕はディーラーの方の機転と好意で助かった。その恩を僕はお店の売上と言う形で返した。
もちろんかなりシビアに値切ったと言う裏話もあるのだが(笑)
もしかしたらこれは僕が何等かの善行為をしていた結果だったのかも知れない。そしてディーラーはまたそれを別のお客さまにサービスとして幸せを与えたのかも知れない。
それは証明する術はないが、そう思って行動した方が心も人生も豊かになるのじゃないか?と僕は思う。
恩を売るや返すと言えば余り良い意味にも捉えられず恩と言う言葉自体に何だか重さを感じるかも知れないが、そんな大層に考えることはないと思う。
人に対してちょっとした気遣いで構わない、受けた方は悪い気分にはならないし、良い気分になれば場も和む。
それだけでも自分自身快適に過ごせるならそれは十分恩を受けたことにもつながるのではないだろうか。
日常のちょっとしたことでも良いので相手が和むことを発信し、受けた好意はすぐに返せなくともいずれ返すようにする。そうすると自分にも良いことが周囲で起こるものだと思う。
最近良いことないなぁと思われる方がいれば、日常のちょっとしたことでも良いので良い影響を他人に渡してみたらどうだろう。
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