世の中を見渡すと優しさを求める人の割合が増えているように感じる。
女性対象のアンケートなどで男性に求める事の上位には必ず「優しさ」がランクインしている。
それほどに現在は優しさを求められる時代となったのだろう。
では優しさとは一体何だろう?
僕は男性なので男性目線で同性を見た場合、女性を見た場合でその定義は変わって来ると思うし、逆もまたしかりである。
なかなかひとくくりで結論付けることは難しいと思うが感じる事を述べてみたい。
男性の僕から見てこの人優しいなぁと感じるのは、口は悪くとも相手の事をしっかりと考えフォローする人だ。
口が悪い、と言うより相手の言動や態度について容赦なく指摘するが、そうする事で相手の行動がどう変わり、どんなメリットがあるのか迄を示すことができる人物だ。
これは同性を見て感じる事だ。
自分を振り返ってこうでありたいと思うタイプだが、得てしてこのタイプの優しさは異性には支持されないケースが多いように思える。
相手に対する思いが伝わり難いと言う事だろうか。
特に異性に対してはもう少しソフトな工夫が必要なのかも知れない。
普段何気なく使ってしまう優しさとは一体どう言ったものだろう?
思い遣り、気遣い、グッとレベルを下げてチヤホヤして良い気分にさせること?
部分的に的を得ても全部を包括していない様にも思える。
たとえば女性がある男性を指してこの人は優しいと言ったとしよう。
レディファーストで女性を立てるから?ちょっとした気遣いで嬉しい気持ちにさせるからだろうか?
勿論そう言ったことも要因のひとつだろうがそれだけでは何かが足りないような気がする。
それはその中には先に揚げた思い遣りや気遣いと併せて実行力や包容力がセットになっているのではないだろうか。
実行力・包容力は言い換えれば人間の器とも言い換えられると思う。
優しいが頼りなければ優柔不断となってしまう。
物腰はソフトだが決断は他人任せの人であれば男女の差なくその人に対する関心が薄れて来るのではないだろうか。
そう言う人物を好む親分肌の人もいるので一概には言えないが。
つまり男女であれ本質は同じものを見ているが表現の嗜好が異なるだけだと思う。
優しさとは思い遣りと器の大きさのセットだと述べた。
従って器の大きさに比例して優しさも大きくなる。
我が身を振り返って自分は器が小さいからダメだ、とも思いがちだが、人間の器は意識すれば大きく出来るものだと思う。
それは日常の中で様々出会う物事に対してきちんと向き合って解決して行くことで徐々に養われるのではないだろうか。
ケースを積めば経験値も増えると言うことだ。
そうした事に加えて本や人から得た情報を取り入れて自分なりの考えを養って行けば徐々に器は大きくなって行くのだと思う。
優しいかそうでないかは相手が判断することなので、自分は自分が出来ることをするしかない。
そうする事によって周囲が優しいと認めてくれれば優しさの本質が身に付いて来たと言うことになるのだろう。
シンプルに思うのはやはり自分が関わる相手には思い遣りや気遣いを持って接する事が一番なのだと思う。
その上で人間の器を大きくする努力をしていけば良いのではないだろうか。
器を大きくするのはコミュニケーションからでしか生まれない。
従って周囲とコミュニケーションを積極的に行う事が優しさを育む一番の近道なのだと思う。
そして優しさが身に付けば円滑なコミュニケーションが可能となる。
最後になるが結局優しさの定義など人それぞれなのでその人が対象の人に優しさを感じるならそれでOKだと思う。
優しさとは人間関係を円滑にするもので、自分一人さえどうにかなればそれで良いと考える人物には不要なものかも知れないが、自分の器を大きくすることは豊かな人生を過ごすためには必要なものだと思うので、器を大きくする努力をすればどうか、経験値も増えて人との交流も円滑となり、豊かな人生を送れるので一石二鳥も三鳥にもなるのではないだろうか。
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