友人のブログ投稿を読んで僕の頭の中にサッと「いい人」とのイメージが湧きました。
とある老舗のお店を紹介した内容だったのですが、そこの三代目の主人を知っていたのでそう言うイメージを抱いたのです。
「いい人」よく使い、使われるワードですが、では「いい人」とは一体どのような人なのでしょうか?
そんな事を考えてみたいと思います。
ある人を指して「あの人はいい人だね」とはよく使うフレーズだと思います。
いい人を指す人物の中には
- 優しい
- 人当りが良い
- 自分に危害を与えそうにない
- 否定しない
- 相手を認める
などが含まれるのだろうと思います。つまり「いい人」から見て自分を含めた他人を認めて柔和に接する人物と言ったところでしょうか。
たとえるなら心地良い春の日差しの様な人物と言えるかも知れません。
反面、言いたい事を言っても許容してくれると言った弱々しく優柔不断な印象も含んでいるのではないでしょうか。
ではたとえば上記の特徴に実行力が伴った実務家ではどうでしょう?
おそらく畏怖を伴った「怖い」や「ウザい」と言う印象となるのではないでしょうか(笑)
それは時として自分にとって緊張感をもたらす事になるからです。
つまり「いい人」とは自分にとって心地良い人、見も蓋もない言い方をすれば自分にとって都合良く振る舞ってくれる人物と言えるのかも知れません。
話は戻りますが先のブログ記事のお店の主人を良い人だと思い浮かべたのはかつてその人物を紹介したテレビ番組を見た事があるからです。
その主人は老舗の洋食屋の三代目でもあり、暖簾を守るため仕事内容は非常に厳しい様子が伺えました。
しかし部下の悩みや店内のトラブルの解決には率先して取り組んでいる姿も併せて紹介されていました。
とまぁ僕はこう言う部分を見てこの人物を「いい人」だと感じたのです。
全体を見つつも優しさを持って枝葉にも気を配れると言うところでしょうか。
この方の場合は暖簾の重さを守るためには携わる自分以外の人々への協力が不可欠だと言う事に気付いたからなのかも知れません。
僕自身の事を振り返ってみたいと思います。
僕は周囲からは最初に述べた「いい人」だと思われていると思います。
人好きしそうな外見もありますが、人当たりが良く柔和な感じだからですね。
勿論意図してそうしている部分もあります。
のべつ幕なしに自分の主義主張や意見を振りかざしたり、他人に意見を言ったりそれを通すのは面倒だし見苦しいものだと思っていたからです。
最近知人から非常に無礼な振る舞いを受けました。
詳しくは割愛しますが、相手も僕なら自分を受け入れて何も言わないだろうとの前提があったと思います。
つまり僕は舐められていたのでしょう。
昔から知っている太郎ならニコニコして仕方ないなぁと流してくれるに違いない、そう思っていたと思いますが僕はそれを許しませんでした。
その後連絡はありませんが、(常識人なら)相当なショックを受け反省している事でしょう。
でもそれで良いのです。
またそうさせた自分(僕)にも責任があると言えます。
なぜなら知人にそうさせるまで放っておいたのは他ならぬ自分自身ですからね。
言うまでもありませんが僕は先の三代目と違って普通の立場の人間です。
何を以って普通と言うのか?つまりそこらにいる平均的な人物だと言う事です。
普通の人間は自分の意見を押し殺して良い人を演じなければならないでしょうか?
勿論そんな事はないはずです。
同時に実務家は他人の事を顧みず目的達成に向けて猪突猛進すれば良いのでしょうか?
タイムリーな話題で日大アメフト部の不正タックルを指示した指導陣が現在やり玉に挙げられていますね。
この事を思い浮かべても一目瞭然なのではないでしょうか。
つまりは出来る人もそうでない人も自分に足りない物を探し出して同じ目標を目指さねばならない、と思う訳です。
友人が投稿したお店紹介記事がかつて良い人を連想させる三代目主人を思い起こさせた事と、他人に「いい人」とのイメージを抱かせる自分が味わった経験が重なったので「いい人」とは何だろう?について思うところを書いてみました。
出来る良い人は周囲の幸せの追求のため、人から舐められる「いい人」は普段は春の日差しで他人を良い気分にさせても、いざとなれば厳冬のブリザードを浴びせ掛ける、そんな存在になれるよう目指しましょう。
結論は自分の足りない部分を養って真の良い人を目指しましょう。
こんなところかな(笑)
それでは今回はこの辺で。
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