自信は築き上げる物じゃなく元から自分に備わっていると言うのは本当だ。全てを失ったとしても悲観する事は何もない。自分がいるじゃないか【思うこと】

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学校や職場で仲間外れにされる事はよくあります。

最近はスポーツ界でも監督やコーチによるパワハラで窮地に追い込まれる選手の話題に事欠きませんが、社会生活を行う上で仲間外れにされると言う事は、人間は組織を作って集団で生きて行く習性を持った存在である以上、そのような対象に陥った人にとっては孤独感や絶望感に苛まれて生きる気力を失ってしまうと言う事は想像に難くありません。

 

ではなぜ孤独や絶望を感じてしまうのでしょうか?

これは気付かないままに他人の目線や評価に基準を合せて自分の言動を決めているからで、いつまで経っても自信が持てないからだと思います。

たとえばあの人は自分の事をどう思っているのだろう?(嫌われていないか?評価されているか?etc)自分に比べてあの人はいつも自信に溢れて楽しそうだとか他人の芝が青く見えたり(笑)

社会や企業組織で生きていくためには勿論協調や協力して生活する事は必要最低限必要ですが、自分を殺してまで他人の意向に沿わそうとすれば自信が育まれないのも当然と言えるでしょう。

こうした場合、いくら信頼できる人や心を許せる友人や恋人から慰めやアドバイスを貰ったとしても決して心が晴れる事はないでしょうね。

なぜなら他人がいくら親身に相談に乗ったとしても自分が自分自身を信用していないからです。

 

極端な話、地位や財産全てを無くした!として絶望のどん底に叩き落とされたと思っても全て無くしたのではない、と僕は思います。

なぜならそこには自分自身がいるからです。

失職や事業に失敗して一文無しになってしまい、家も失い一家は離散、親友だと思っていた友達は蜘蛛の子を散らすように自分から去っていったとしても自分自身は残りますよね。

前者は人生を過ごす中で獲得して来た言わば飾りのような物ですが、後者は自分がこの世に生まれた時からこの世を去るまでずっと一緒の存在です。

自分で自分自身の事を能力がないとか、お金がない、友達や恋人がいないとないない尽しで否定的に捉える人が圧倒的に多いように思えますが、いつも片時も離れずずっと傍に寄り沿う自分自身の事を自分が信じない事は本末転倒ではないでしょうか?

 

幸せを感じたり自信を持つ事は、地位、財産、交友関係などの人生を過ごす中で自分が獲得したから物事から生まれるのではなく、元々自分の中にあるものだと僕は思います。

青い鳥は自分の外にいるのではなく、ずっと自分の肩にとまって寄り沿っていた事に気付けるかどうかだと思います。

 

ニュースで賑わせているように、現在様々な不遇に身を置いて辛い経験の真っ只中にいる人も多いと思います。

僕も会社勤めしていますが、パッとする様な存在ではありません。どちらかと言えば冷や飯喰らいです。

もっと大変な境遇にいる人もおられる中でこんな事を言うのも恐縮なのですが、自分は何て不幸なんだろう?とその境遇を嘆く事も分からなくもないのですが、これを自分の中に埋もれた本当の自分自身に気付けるチャンスだと気付けると一見不幸な境遇も絶好の機会に変わるのではないでしょうか。

投げずに頑張りましょう。

余談ですが頑張ろうと言っても理不尽な環境に居られる方は躊躇なく逃げましょう!

 

それでは今回はこの辺で。

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